- mono作りはlace作りから -
レースと刺繍のオリジナルアパレルブランド、REI THE LACES CHAMBER。
made in japanにこだわり、企画から縫製まで全て国内で行っています。
-Everything starts with making lace material-
“Rei The Laces Chamber” is an apparel campany in Tokyo.
We make clothing of original lace and embroidery since 1984.
Our original fabric and products are 100% made in Japan and good for women
who want to be more fabulous and unique.
“古くから愛され続けるレースの世界”に思いをはせて。
REIの歴史
子供の頃から西洋映画が大好きだったという大正生まれの祖父が、映画女優たちが着ていた美しいレースのブラウスに魅せられ、自宅をアトリエにしてお洋服作りをはじめたのがオリジナルブランド"REI THE LACES CHAMBER"誕生のきっかけです。

まだ学生だった少年時代から、日本最初の洋画専門館である横浜オデオン座に通うのが唯一の楽しみで、特にサイレント映画の大女優マレーネ・ディートリッヒが大のお気に入りだったという祖父。
1930年代当時はハリウッド黄金期と呼ばれ、多くの名作が誕生していた時代です。
ヴィヴィアン・リーがスカーレット・オハラを演じた「風と共に去りぬ」やマレーネ・ディートリッヒ主演の「モロッコ」「上海特急」。「オズの魔法使い」が初めて映画になったのも1939年。
数多くの名作とともに、美しい映画女優達がファッションの流行を生み出していきました。

サイレント映画全盛期に活躍したドイツ人女優マレーネ・ディートリッヒ。
横浜でお茶屋を営む傍ら、似顔絵描きと洋服のお直しで生計を立てていた祖父が、祖母と結婚したのは25歳の時。
洋裁が得意だった祖母と一緒に、REIのはじまりとなるレースのブラウス作りをスタートさせたのがこの頃です。
戦後混乱期の日本にはレースのブラウスはおろか、当時の映画女優達が着ていたような華やかなお洋服のパターンはなく、祖父は試行錯誤してサンプルを作り上げては、反物と一緒にハーレーに積み上げて横浜から東京まで売り込みに行きました。

日本にアパレル産業が根付いたのは1960年代に入ってからと比較的遅く、高度経済成長によって繊維業と共に機械レースもどんどん発展していきます。
レースのファッションというものが認知され、やがて少しずつ注文が入るようになると、縫製スタッフさんを雇い入れ、自宅をアトリエに改装。祖父は祖母と一緒にアパレルメーカーとしての道を歩みだしました。
たくさんのミシンと縫製スタッフさんに囲まれ、アトリエを遊び場に育ったのが、二人の間に生まれた母です。
小さな頃からレースに触れ、祖父と一緒に買い付けに行き、時々マレーネ・ディートリッヒの100万ドルの脚線美がいかに美しかったか、そんな話を繰り返し聞かされながら育ったという母が、祖父の想いを継ぎ、父と一緒に株式会社麗を設立したのが1984年のこと。

卸メーカーとしての"REI"

"REI THE LACES CHAMBER"は「レース好きの人たちに、レースの小部屋で楽しんでもらいたい」そんな想いから母がつけたREIのブランド名です。
アトリエと企画室を持つ少人数の小さな会社ですが、卸メーカーとしての実績は実に30年以上。
香港、韓国、台湾など海外から仕入れに来て下さる業者さんも多く、お取引の件数は国内外を合わせて年間300件にのぼります。
国内での年8回の展示会に加え、アジア最大級と言われる香港ファッションウィークへの出店も果たし、日本製レースに特化したアパレルメーカーとして確かな信頼と実績を築いてきました。
ものづくりをする上で、"手仕事を惜しまない"ことは母のポリシーであり、REIの企業理念でもあります。
繊細な糸の流れを損なわない、美しいレースを生かしたお洋服のパターンは、長い歴史をもつREIならではの魅力の一つ。
商品の企画から生産まで、一般的なアパレルメーカーでは考えられないような時間と手間をかけ、少数生産で丁寧なものづくりをしています。
祖父の代からお世話になっているレース工場さんや、熟練の職人さんたち、そしてREIを愛して下さるお客様に支えられながら。
流行にとらわれず、またヤング、ミセスの区別なく。
母娘で長く大切に着ていただけるような、そんなお洋服を作り続けていきます。